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西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(2)

邵さんが建設に携わった中国電力安野発電所は、広島市から北西に約40km、太田川をさかのぼった山間部にある。工事を請け負ったのが西松組(現・西松建設)で、1944年5月に着工し、46年末に完成した

『西松安野友好基金和解事業報告書』によれば、西松組は厚生省から中国人300人の「移入」の認可を受けて、山東省済南市の収容所「新華院」で受け取り、日本に連行した。この中国人は、日本軍の捕虜になった将兵のほか、農作業をしていたき、埠頭で働いていたとき、家の中でご飯を食べていたときなど、日常生活の中で日本軍に捕まえられた農民・商人・労働者、さらに監獄の中から連行された人などであった。西松組は、300人を日本軍の監視下に置いて青島に移送したが、途中で汽車から1人が飛び降りて逃げ、さらに青島の保安旅館から2人が逃げて、297人に減少した。西松組はこのほかに、独自に調達した認可外の63人を青島に集めた。63人は、日本軍との戦闘で捕虜になった兵士、市場から帰宅途中に日本軍に拉致された農民、路上で日本軍憲兵や中国人ヤクザに捕まえられた人などである。1944年7月29日、360人は青島港から貨物船・錦隆丸に乗せられて出港した。船では飲み水がなく、食事も不十分で、3 人が死亡し、遺体は海に投げ込まれた。8月5日下関港に着き、翌日、汽車とトラックを乗り継いで、安野発電所工事現場に到着した。

中国人は、第1中隊(労工番号l番~100番)、第2中隊(101番~200番)、第3中隊(201番~297番)、認可外の63人は第4中隊(298番~360番)に編成され、坪野、香草、津浪、土居に配置された。坪野では、発電所の基礎をつくる工事とトンネル工事を行ない、香草と津浪ではトンネル工事を行なった。土居ではトンネル工事と取水口工事を行なった。全長約8kmの導水トンネルの掘り口は全部で11力所あり、うち6力所で中国人が働いた。