西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(1)

昨年秋、天津市在住の邵義誠(しょう・ぎせい)さん宅を河北大学元教授の劉宝辰氏といっしょに訪問した。邵さんは、広島・安野(やすの)の生存者で、現在、89歳。たいへんお元気で、補聴器を使う必要もなしにインタビューに応じられた。中国から中国人を強制連行し、発電所建設に使役した西松建設は2009年10月、被害者と和解し、救済のための基金をつくった。邵さんは、その基金運営委員を務める。「和解は、裁判と交渉の最後に勝ち取ったものです。1993年に企業との話し合いを始め、やっと解決しました。和解と分かってみんな喜んでくれました。よかったねと言うためにわざわざ会いに来た人もいます」と話した。

 

邵さんにお会いする直前、劉氏から1冊の本を渡された。『西松安野友好基金和解事業報告書』で、その内容は、▽「受難之碑」をいつか「友好之碑」に 内田雅敏▽和解事業を終えて▽和解成立までの経緯▽和解事業▽安野に強制連行された人びと▽資料▽20年あまり関わってきて 足立修一▽輝く歴史的瞬間▽運営委員会委員紹介―という構成(中国語・日本語それぞれ245ページ)である。

 

基金が全被害者調査を行っているとき、私は劉氏に「調査結果はまとまっていますか」とお聞きしたことがあった。「調査員は5人いますから」と、調査結果をお聞きすることはできなかった。おそらく、そのときの回答がこの報告書ですよということなのだろう。そして、劉氏は、邵義誠さんにインタビューをしてはどうかとご提案になったようだ。

邵さんが建設に携わった中国電力安野発電所は、広島市から北西に約40km、太田川をさかのぼった山間部にある。工事を請け負ったのが西松組(現・西松建設)で、1944年5月に着工し、46年末に完成した。

f:id:machikiso:20141024163749j:plain

邵義誠さん(右)と娘婿の張振侖さん(天津市の邵義誠さんの自宅で)