熊谷組与瀬作業所の孫式恒さんの証言(23)

 ――故郷に帰りついたのは、1946年の春節(旧暦の正月)ですね。家族と再会したときのもようをお話しください。

 (孫)当時、家にいたのは母、妹、そして妻です。日本軍に捕まる前に結婚して、2年間、待っていてくれました。家族はたいへん喜びました。それに村でも盛大に歓迎してくれ、京劇をしてくれましたし、田植え踊りも披露されました。

 ――帰国後、ずっと日本兵が夢にでてきてうなされたそうですが、それはいつまで続いたのですか。

 (孫)60歳になったときも見ていましたから、40年くらい続いていました。日本人につかまって、日本に連行されたときばかりではありません。まだ、16歳で八路軍に入っていないときに日本軍に捕まったときの夢も見ます。

 ――孫さんが捕まって監禁された部屋には、八路軍の兵士が何人かいたが、その人たちは、拷問を受けて殺された。孫さんは、拷問を受けた人たちの悲鳴を耳にしたのですね。

 (孫)その通りです。全員、殺されました。母は、私が捕まったときいて、10里も歩いて妹を連れて探しにきました。母は、処刑された人たちのなかに私がいないことを確認し、家に戻って牛を売ったお金で救い出してくれました。