熊谷組与瀬作業所の孫式恒さんの証言(19)

 次に、日本の敗戦後に亡くなった副隊長のことについて聞いた。インタビューの初めに中国隊の指導部のことを聞いた際、孫式恒さんは、覚えていないと言っていた。

 ――日本の敗戦後、副隊長の馬盤根という人が亡くなっています。死亡診断書では、1945年10月11日に「急性胃カタル」で亡くなったとされています。その人のことについてお聞きします。

 (孫)馬副隊長ですか。彼は殺されました。中国人に。

[孫さんは、あっけらかんとした風で話しを続けた。そばで聞いていた家族は、ちょっと戸惑ったような様子だった。]

(孫)日本人のために私たちを監督し、だらだらした仕事をする者を鞭でたたいていましたから、みんなにすごく恨まれていました。長い棒で…。

 ――たくさんの人が一緒に? 孫さんもそのなかに参加したのですか。

 (孫)まだ起きていないときです。私は、あとでそのことを知りました。火葬もしないで、その場に埋めたのです。労工の多くは、八路軍の出身で、行動するときは一緒です。