熊谷組与瀬作業所の孫式恒さんの証言(3)

 今年の清明節(4月6日、中国では祖先の墓参りをする)に中国人民抗日戦争紀念館(北京市)が「連行された中国人の名簿」をインターネットで公開した。孫式恒さんの末娘の孫金義さんがその3万4千人を超す名簿の中から父の名前(事業場番号57 株式会社熊谷組与瀬作業所 番号82 孫建宗 一九  滄県前孫?様<採>村)を見つけた。

 名簿は、1964年6月に日本の民間団体「中国人殉難者名簿共同作成実行委員会」が作成したもので、コピーのまま掲載されているため、一つひとつ名前を確認していくしかない。孫金義さんは、おそらく父を連行した企業名や事業場名を聞いていなかったのだろう。徹夜で名前を探したという。そして彼女はこの機会に、父から詳しく話を聞いて回想録にまとめ、新聞社にも連絡した。

    記事は、滄州晩報に「在日本当労工的苦難日子」として掲載された。新聞としては、大きな記事であるが、日本での労働の内容や事業場の様子はあまり詳しく描かれていない。聞き手に予備知識がなく、詳しく聞き出すことがなかったからか、類型的な紹介だけで十分と考えたためか。いずれにせよ回想録以上の内容は見当たらなかった。