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熊谷組与瀬作業所の孫式恒さんの証言(2)

  2014年8月末、河北大学元教授・劉宝辰氏から「健在の元労工がいますが、話を聞きにいきますか」と連絡があった。メールに添付された「回想録」によれば、孫式恒さんが日本に連行された状況は、次の通りである。

 

  1927年6月12日、滄県孫吉科村(現・塩山県孫吉科村)で生まれた。当時、家には

 曾祖父、祖父、父、母がいた。1937年には、妹ができたが、この年に父は過労で治療

 する薬がなくこの世を去った。まだ37歳だった。1939年、日本軍はあちこちの農村に 

 駐屯した。その年の秋、70数歳になる祖父が農作物を収穫しに畑に行ったとき、圣仏

 トーチカに駐屯する日本兵が通りかかり、祖父に話しかけた。祖父はよく聞き取れ

 ず、それで日本兵は刀で刺し殺した。日本軍が中国にいる限り中国人の生活はない、

 そういう思いから革命に参加し、孫建宗と名乗った。1943年春に結婚、妻の肖氏は21

 歳だった。1944年2月22日(旧暦正月29日)、日本軍は網を絞るようにして掃蕩を

 行ったが、そのとき、祝南良村で包囲され日本軍に捕まった。