相模湖の中国人強制連行(21)

   1945年11月27日、約2100名の労工は、捕虜交換の形式で、松本市から列車に乗って出発し、博多港を出港し、12月7日に青島に帰りました。

  「この732日は、一生のように長い日々だった。故郷に足を踏み入れて、身内に会った。隔世の感で、夢のようだ。生きて帰れるとは思いもしなかった」と朱文斌は言います。

   ただ、青島からすぐ自宅に帰れたわけではなく、青島を支配していた国民党が、国民党軍に入れようとして監禁。翌年の1月15日にようやく解放されて、故郷に帰ったのでした。地区委員会の手配で、地方行政機構で働き、50年で定年退職しました。

    朱文斌の父と兄は、彼が日本軍に捕まる前、1941年9月に日本軍に捕まって、临淄県城で1カ月以上監禁されました。金を工面して父を請け出したが、兄を請け出すお金がなかった。間もなく兄は東北(旧「満洲」)に連行され、音沙汰がなくなったとのことです。