相模湖の中国人強制連行(20)

 抗争は明らかに効果があり、形勢が変わり、日本人は中国人の生活を改善することを承諾しました。

 「各人に1日にあたり米あるいは小麦粉を1キログラム、いくらかの服装と綿入れの掛け布団が提供され、さらにあきらかなうそだが“給料”もだした。同意もなく、まして契約もなく、明らかに強制労働だ。300円の給料というねつ造は、その心はどこにあるかは言うまでもない。いわゆる300円の給料だが、誰にでもではない。熊谷組で働いていた間に死亡すれば、50円の埋葬費だけだった」。

 朱文斌の言葉から、帰国前に300円が支給されたということは確認できます。ただ、そのお金が給料と呼べるものかどうかという点について、彼は「うそ」だと主張しています。日本で働くことに同意したわけでもないし、労働契約書もないという点を挙げています。日本の企業は、中国人一人ひとりと契約をかわしたのではなく、「華北労工協会」という、中国側の労働力供出機関と契約したに過ぎないので、労働契約にはあたりません。しかもこの華北労工協会は、日本人が実権を握っていました。

(「相模湖(ダム)の歴史を記録する会」は、これまで5人の中国人被害者から聞き取りをおこなっています。同会が聞いた人たちは、だれも給料をもらっていないとのことでした。)