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相模湖の中国人強制連行(15)

 相模湖の中国人たちは、1945年7月13日に松本に移動させられました。朱文斌は、松本での日本の敗戦までの2カ月を次のように語っています。

 「1945年6月ころ、隊全員は松本市に移動させられた。さらに200名が増えた」

外務省報告書の「華人労務者移入・配置及送還表」では、熊谷富士から244人が7月10日に松本に来ていました。

 「飛行機の格納庫を建造する。ここの条件はもっと劣悪で、50人で1つの班で、たべるところも寝るところも一緒で、高さ2メートル、幅5メートル、長さ25メートルの臨時につくった小屋で、高温で蒸し暑く、湿っぽくて、至る所にシラミ、ノミ、ナンキンムシが跳びまわり、多くの人が皮膚病、夜盲症になった。仕事着、手袋、傷病の医療さえなくて、甚だしきに至っては出勤することができない患者に対して人身を行って壊す。生活では、冬は丸くなって暖を取り(暖房がない)、夏は暑さを防ぐことができず、空腹で飢え、野菜さえ供給されない。肉、魚、卵の類は言うに及ばず、ただ少しばかりの漬け物だけがついた。衣類は、ひとえの服も綿入れも支給されず、靴も出さない。夏季、多数の労工は掛け布団をはずしてひとえの服をつくって夏を過ごす。1本の歯ブラシが配られただけで、衛生用具もない」

 中国人労工の生活が改善されたのは、戦後になってからでした。朱文斌は、米軍が松本市に進駐してやっと労工患者の検査と治療が進められ、電車に乗って松本市の天然の温泉に行って入浴したといいます。