相模湖の中国人強制連行(10)

  「殉難者名簿」には、証言どおり、4名の犠牲者名があります。

・高友 36 河北省文安県富蕭県 19・4・18 肺炎 船中死亡(入港後)死亡診断書無

・閻宝全 24 河北省易県甫都 19・4・18 栄養不良肺炎 船中死亡(入港後)死亡診断書無

・郭枝真 23 山東省青城県郭家荘 19・4・19 不詳 船中死亡(入港後)死亡診断書無

・趙二 25 河北省平谷県長村 19・4    下関検疫所死亡、死亡診断書無

 

 「殉難者名簿」の記載内容は、事業場側の記録をもとにしたようですが、3人は下関に入港してから、1人は下関検疫所で死亡しているのに、なぜ、死亡診断書が無いのか、腑に落ちません。しかも、趙二に関しては、死亡日すら特定されていません。「4人は鉱石の上で亡くなり、海に投げ入れられた」という朱文斌の証言こそ真実なのかもしれません。

 さて、朱文斌がいう行方が分からない4名というのは、どういうことでしょうか。

 朱文斌は、北京清華園の200人と新華院の100人が一緒に青島に列車で送られ、4、5日して船に乗り、日本についたときには292人になっていたと語っています。そのうち4人は死亡して海に捨てられたが、あとの4名は不明だというのです。

 事業場報告書によれば、熊谷組華北労工協会と契約した人数は296人で、青島での乗船は292人でした。契約人数と乗船人数の差、4人は不明です。朱文斌がいっている4人不明と照応します。途中で逃亡があったということでしょうか。