相模湖の中国人強制連行(7)

  済南の新華院は、"閻魔殿"とも呼ばれている収容所で、「犯罪者」を拘禁する所です。高い壁に囲まれ、壁の上には電力網が張られていました。その外は鉄条網で、3メートルの深さの堀が巡らされており、さらに角々に監視塔があり、衛兵が四六時中、見張っていました。夜間は兵士が巡回し、逃亡者はその場で殺されました。(注:朱文斌は新華院を「日本軍の司令部がもっぱら犯罪者を拘禁する所だ」と言っています。ただの農民が野良作業をしていても、八路軍だろうと疑いを持たれれば「犯罪者」として引っ張って行かれることもしばしばあったようですから、カッコ付きの「犯罪者」としました。)

 

  「アワを食べたが、変質したものだった。聞くところによると国民党が備蓄していたものだという。米の袋には虫が山のようにたかり、水で洗った後で、アワ飯を分けて食べた。食べた後、多くの人が高熱をだし、また湯が飲めず、鼻血を出した。発病した者は病棟に送られたが、医者も薬もなく、たくさんの病死者がでた。12月から新華院に入ったが、私の計算では、少ない日では4~6人、たいていは7~8人、一番多かった日には26人が死んだ。1944年3月5日、日本は"中日親善"といって、死者のための"追悼会"をおこなった。その時公表したが、1943年3月5日から1944年3月4日までにあわせて1482人が死んだという。これは日本の軍国主義者が自ら認めた確固とした犯罪の証拠だ」と朱文斌はのべています。