相模湖の中国人強制連行(2)

 朱文斌と一緒に捕まったのは、医療関係で働いていた朱太山(当時19歳)のほか、兵器工場の労働者だった宗尚官(当時23歳)がいました。

 日本軍に捕まったときのことを朱文斌は次のように語っています。

 「1943年12月、日本の畜生は冬季"掃討"を始めた。墾利県での掃討が21日にあり、"21日の掃討"と呼ばれている。その時、日偽軍は数万人の兵力を動員した。空では飛行機が旋回し、地上では前線では騎兵隊が先導し、歩兵がすぐその後に続き、網を引く式の捜査逮捕を展開した。いたるところ、焼き、殺し、略奪し、悪事の限りを尽くした。民衆は東奔西走して、あちこち命からがら逃げた。」

 この中で、朱文斌は日本軍に捕まりました。数万の規模の作戦とありますので、『北支の治安戦』(防衛研修所 戦史室)に出ているかもしれないと思い、目を通したが、見当たりませんでした。中国側の記録にはどのように描かれているだろうか。日中の記録を探すことは課題になります。