地崎組石門・済南隊の31名の死亡事情について(17)

 旧・大府飛行場に連行された石門・済南隊の死亡者の死亡事情および遺骨の所在に関する調査は、緒についたばかりです。

 最後に、石門・済南隊の人々が強制労働をさせられたそれぞれの地で、追悼式がおこなわれ、慰霊碑を建てようとする動きもあります。

 愛知県では、東海市の玄猷寺(げんにゅうじ)で2010年に始まった追悼式典は、これまでに5回執り行われ、生存者の唐燦氏、楊印山氏、遺族の宋殿挙氏を迎えました。慰霊碑建立のための募金がとりくまれています。

 2012年8月、札幌市在住の木村玲子氏は、愛知での追悼式典に参加した縁で、唐燦氏の娘・唐元鶴氏をイトムカ(北見市)と平岸(赤平市)の強制労働現場に案内しました。それぞれの地で郷土史研究者や地元の人たちが歓迎し、追悼と懇談がおこなわれました。木村氏は、イトムカの水銀沈殿池のほとりにたてられている「水神」碑の前で追悼を続けようと呼びかけています。

 置戸町では、地崎組の死亡者はありませんが、伊藤組の104名と野村鉱業の24名の中国人が死亡しており、亡くなった朝鮮人とあわせて1976年に慰霊碑が建てられました。今も町主催の慰霊祭が続けられています。

 赤平市には「黎明の像」が建てられています。赤平の炭鉱などに連行されてきた外国人殉難者の霊を合祀したもので、市の慰霊祭が続けられています。