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地崎組石門・済南隊の31名の死亡事情について(10)

   中国天津市の「殉難烈士労工紀念館」には、送還された2822人分のうちの2316人分の遺骨が保管されています。南氏は2011年11月、大府で亡くなった楊洪寛、宋学海、王明文、張玉柱、李(季)良浜(斌)5氏、平岸で亡くなった謝志成、馬蘭祥、解霊山、揚井児、雪山、張照夫、劉樹鎮7氏の遺骨箱が同館に安置されていることを確認しています。

   ここで問題になるのが宋学海氏の遺骨の所在です。故郷に遺骨が届けられたという証言がある一方で、紀念館にも遺骨箱があるからです。

   宋学海氏の弟・殿挙氏は、同郷の生存者が帰国する際に遺骨を持ち帰り、行政機関から遺族に連絡があり、遺骨を引き取りに行き、村じゅうの人が集まって葬式をしたと証言しています。その時、殿挙さんは3歳でしたが、1985年に隣村の若い女性が死んだので、女性の家に礼金を渡し、夫婦に見たてていっしょに埋葬する儀式を弟としておこなったが、そのとき兄の遺骨を見たと語っています。宋学海氏の遺骨が2度も中国に返されたことになっている問題を解明するには、第2次送還にあたって宋学海氏の遺骨が収納された経緯を精査することが必要です。

  平岸で殺害された7名の遺骨がどうなったかも問題です。赤平の森襄叟医師が作成した「変死者検案書」では氏名・年齢不詳となっていました。ところが、第2次送還では8名の遺骨が送還されたことになっています。この問題は次章でとりあげますが、「合葬」することで、地崎組は7人分の遺骨を8人分と主張したのでしょうか。天津の「殉難烈士労工紀念館」には陳正朝を除く7名の遺骨箱が安置されていると南氏が指摘しています。どこかの段階で7人分と正されたのでしょうか。

  南氏は、地崎組石門・済南隊の31人の遺骨の所在を明らかにするための調査を劉氏に依頼しました。