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地崎組石門・済南隊の31名の死亡事情について(9)

  日本の民間団体によって1953年7月から1958年4月まで9次にわたって、日本で亡くなった中国人殉難者の遺骨送還事業がとりくまれ、6830名の殉難者のうち2822名の遺骨が送還されました(推定)。旧大府飛行場で亡くなった5名を含む北海道での殉難者の遺骨送還は第2次(1953年7月)で311人分、第7次(1957年5月)で5人分が送還されました。

 「第1次~第8次 中国人殉難者遺骨送還状況―ポツダム宣言受諾と強制連行事件」は、第2次送還時の北海道での遺骨調査について「中央慰霊実行委員会の成立直後のよびかけや東京華総陳副会長の北海道出張によって調査が本格的に始められ」、「鉱業および土建関係の全事業場は、連行者名簿、死亡者名簿を、日赤支部または華僑総会を通じて、成立準備中の北海道慰霊実行委員会に提出」。さらに「北海道仏教連合会や道内の全寺院に指示して調査し」、道内12の寺院と華人墓地より311人分の遺骨を確認したと記録しています。

 地崎組関係の遺骨は、「地崎組東川 八八柱 法城寺」「地崎組平岸 八柱 西本願寺幌別院」「地崎組大府 一柱 西本願寺幌別院」「地崎組大府 四柱 浄光寺(空知郡赤平町)」「地崎落部 一柱 東流寺」「地崎函館 七柱 東流寺」「地崎大野 二柱 東流寺」が確認されています。7月11日、東本願寺幌別院で慰霊祭が行われ、代表団によって東京に運ばれました。

 「地崎組東川 八八柱」というのは、東川出張所で死亡した88名全員分ということですが、東川で再度、中国人墓地で5人分の遺骨が発掘され、第7次で送還されました。「第二次送還の際、地崎組殉難者全員八十八名のものとして送還済みとされていたのであるが、その翌年(一九五四年)にいたり、前回の発掘と遺骨の処理に不審の点ありとの有力な証言にもとづいて、北海道実行委員会が再度発掘作業をおこない、同一墓地より完全な遺体として発掘したものであり、前回の送還に重大な錯誤があったことが判明した」と訂正されています。しかし、第2次送還の際の東川での遺骨発掘で何人分の遺骨が発掘されたのか、それがなぜ88人分とされたのか、「中国人殉難者遺骨送還状況」から読み取ることはできません。