地崎組石門・済南隊の31名の死亡事情について(4)

 上陸の日の夜に下関を出発した490人は列車で山陽本線東海道本線東北本線石北線を乗り継ぎ、3月31日に北海道常呂郡留辺蘂町に到着しました。伊屯武華出張所では10名が亡くなりました。

○王洪三 23 山東省寿光県 1944年4月1日 北海道留辺蘂町元町、急性腸カタル

○鄗書建 35 河南省洵(楊)県 1944年4月1日 北海道留辺蘂町元町、急性肺炎

○楊文福 18 山東省郓城県 1944年4月3日 北海道留辺蘂町伊屯武華、回帰熱疑似症

○胡明方 20 河南省南陽県 1944年4月4日 北海道留辺蘂町伊屯武華、回帰熱疑似症

○謝運興 40 山東省博興県 1944年4月8日 北海道留辺蘂町伊屯武華、急性肺炎ほか

○張景洋 25 山東省臨曲県 1944年4月13日 北海道留辺蘂町伊屯武華、急性肺炎

○宋紀曽 29 山東省臨曲県 1944年4月14日 北海道留辺蘂町伊屯武華、肺結核

○闞照禄 26 山東省来燕県 1944年7月10日 北海道留辺蘂町伊屯武華、肺結核

○李成 25 河北省邢台県 1944年9月18日 北海道留辺蘂町伊屯武華、肝臓炎、尿毒症

○干長徳 31 山東省濰県 1944年9月30日 北海道留辺蘂町伊屯武華、急性虫垂炎

 到着の翌日に2名が死亡していますが、死亡場所は死亡診断書によれば、「留辺蘂町大黒座」となっています。北見市郷土史研究家によれば、「大黒座」は留辺蘂駅から150メートルくらいの字仲町にあり、後に「留辺蘂映画劇場」という名前に変わったといい、元映画技師だった人から、中国人が連れてこられて映画館で一晩を過ごし、翌日無蓋車(屋根のない貨車)でイトムカに連れて行かれたという話を聞いたと語っています。

 南氏は、死亡診断書の記述が正しいとすればと断ったうえで、伊屯武華で死亡した全10人のうち最後の一人だけが現地で患った病気で死亡したことになり、地崎組は、病気を患っていた者を無理に連行してきて氏に至らしめたことを指摘しています。

 イトムカで遺骨が保管された場所は、「留辺蘂町宮ノ下専念寺、大雄寺」とされています。二つの寺にいつまで遺骨が預けられ、いつ、どこに移されたのか、調査はこれからです。