地崎組石門・済南隊の31名の死亡事情について(1)
愛知県の旧大府飛行場で強制労働をさせられた中国人は、1944年11月30日から北海道赤平市平岸に移動する6月29日までの7カ月間に楊洪寛、宋学海、張玉柱、王明文、李(季)良浜(斌)の5名が亡くなっています。
この5名の死亡診断書は、地崎組が1946年に外務省に提出した「伊屯武華出張所華人就労顛末報告書」に添付されています。
○楊洪寛(河北省河間県四区)
死亡の原因=病死・病名 膿胸死亡の時=昭和19年12月12日午前1時40分
○王明文(山東省臨清県崖明荘村)
死亡の原因=病死・病名 慢性腹膜炎死亡の時=昭和20年4月3日午前5時10分
○宋学海(河北省威県妹源屯村)
死亡の原因=病死・病名 脊柱捻挫死亡の時=昭和20年1月29日午前9時30分
○張玉柱(山東省光饒県高宛荘村)
死亡の原因=病死・病名 脚気死亡の時=昭和20年2月16日午前6時
○李良浜(河北省束鹿県三区)
死亡の原因=病死・病名 肺結核死亡の時=昭和20年5月22日午前12時30分
(死亡日時と原因は、柳田泰三医師もしくは小島些久医師作成の診断書)
「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」は2010年3月、中国河北省保定市の劉宝辰河北大学教授(肩書は当時)に大府で亡くなった5名の調査を依頼しました。劉氏は、村名が分かる王明文、宋学海、張玉柱の3名について、現地での調査を行い、2名の遺族と1名の生存者を見つけ出しました。