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「戦後遺留問題」をめぐる中国の動き(3)

 7月13日、‘潘家峪(ばんかこく、pān jiā yù)惨案’の遺族と村民委員会が日本政府を相手取って裁判を起こすため、弁護士に委託したという報道が流れました。日本のメディアでは共同通信が報道しました。

 潘家峪村の事件というのは、本多勝一さんが「中国の旅」で紹介した村の虐殺事件です。1940年1月25日(旧暦12月28日)の早朝、当時1300人余りが常住していた村を日本軍が包囲し、村の人々を凍結していた池に集め、軍刀をふりかざして「村長はどこだ」「八路軍に協力したやつはだれだ」などと問い詰めましたが、住民は沈黙を守っていました。そこで日本軍は、村人を近くの大地主の屋敷に移し、機銃掃射を浴びせて皆殺しにし、念を入れてもう一度村を徹底捜索。隠れていた老人や子どもも殺し、全部で1230人を虐殺したという事件です。

 潘家峪村の人々が訴訟を起こすことを決めたことで、新華社の記者が童增(どうぞう、tóng zēng)氏にインタビューをしています。童增氏は、日中共同声明で放棄された戦争賠償請求権は、国家間での賠償請求権であって民間賠償請求は含まれていないと主張、十数年前に中国全人代で提案し、中国の民間人が日本で訴訟を起こす道を開いた社会活動家です。

 童增氏はこう言っています。

 「今年3月18日、第二次世界大戦期の強制連行被害者と遺族が日本の企業を相手取り、北京市の第一中級人民裁判所に正式に訴え、裁判所はこれを初めて受理した。これは中国民間賠償訴訟の重要な転換点である。これからも類似の訴訟が中国国内で展開されると思う」

 「1991年から1993年まで、私のもとに1万数通に及ぶ日本の侵略者の暴行を告発する郵便物が届いた。差出人は国内外の至る所にあり、被害者本人はもちろん、被害者の親族もあった。細菌戦、慰安婦、強制連行、大爆撃、大虐殺などの被害者である。時が経つにつれて、手紙を書いた戦争の“生き証人”は次々と恨みを持ったままこの世を去って行った。私は今年、これら血の涙の告発を公開し、一千万以上に上る中国の普通の家庭の悲惨な記憶を使って、歴史のために証言するつもりだ。日本政府は必ず罪悪を承認し、責任を負い、歴史をしっかり心に刻まなければならない。歴史を鏡にすることは、日本が自らを救う唯一の道であり、戦争の悲劇を繰り返さないために避けて通ることのできない道である」と。

 虐殺事件でも日本にたいする戦争被害の賠償請求が行われたことは、たいへん大きな意味があると思います。「村民委員会」がどのような組織なのか書かれていませんが、村ぐるみでの訴えのようにも思います。強制連行事件の場合、村をあげて支援しているというはことは聞きません。そうした面で、皆殺しにあった村の事件についての訴えというのは、中国社会全体が対日賠償問題をこれまで以上に受け止める新たな段階に入るのかなという気がします。