留辺蘂に到着した日に中国人2名死亡

道東の北見市留辺蘂。ここにはかつて東洋一の水銀鉱山・イトムカ鉱山がありました。

1944年、鉱山労働者用の社宅を建設するための地ならしや水銀の残滓を取り除いた水を川に流すための水銀沈殿池の造成のために中国河北省と山東省から490人を連行してきました(中国出発時は、496人で、イトムカに到着する前に6人死亡)。下関からは山陽線東海道本線東北本線石北線を乗りついできましたが、到着の翌日に2名が死亡しました。

死亡診断書によれば、死亡場所は「留辺蘂町大黒座」となっています。北見市郷土史研究家は、「大黒座」はその後、「留辺蘂映画劇場」という名前に変わったが、留辺蘂町字仲町にあり留辺蘂駅から150メートルくらいのところにあったとのことです。その郷土史研究家は、元映画技師だった人から、中国人が連れてこられ、映画館の中で一晩過ごし、翌日無蓋車(屋根のない貨車)でイトムカに連れて行かれたという話を聞いたことがあると話しています。