大府に連行された中国人生存者は何人の遺骨を祖国に持ち帰ったのだろう(2)

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  「慰霊祭の写真」は、おそらく地崎組伊屯武華・置戸・大府・平岸出張所の「華人就労顛末報告書」に添付された写真12枚のうちの3枚ではないでしょうか。1枚は、中国隊の隊舎の前か、地崎組の事務所の前に祭壇が設けられ、数百人が追悼をしている写真です。立っている数百人は中国人で、中央でイスに座っているのが地崎組の役員もしくは指導者のように見えます。別のカットでは、祭壇をアップで写しています(写真参照)。並べられた遺骨箱と位牌には、戒名が書かれているようですが、読み取ることはできません。

 中央慰霊祭実行委員会は、14の遺骨箱と書いていますが、18箱ではないかと指摘する人もいます。後列の8箱は異論がないと思います。前列の6箱の左右に花の形をしたリボンのようなものがありますが、それも遺骨箱ではと言うのです。さらにあと2つ、祭壇の両側にありそうだと・・・、えっ、どれ? 正直、とまどっていますが、少なくとも14と決めてかかることは慎まなければ、と思いました。

 実行委員会は「李成、干長徳がまつられていない」と断定していますが、14人の戒名が読める写真だったのであれば、船中で死亡したとされる楊蔵児や、下関高須病院で死亡した劉成章ら5名の遺骨もイトムカに届けられたことになります。しかし、強制連行の実態を多少とも知っている人なら、疑問を感じると思います。下関で火葬された遺骨を引き取りに行った企業もあるのですが、火葬許可もとらずに、埋めてしまったことも少なくなかったといいます。