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大府に連行された中国人生存者は何人の遺骨を祖国に持ち帰ったのだろう(1)

 『資料 中国人強制連行』に「中国人強制連行事件に関する報告書 第一篇 中国人殉難者名簿」が収載されています。中国人殉難者名簿共同作成実行委員会が作成したものですが、これを見ていて疑問がでてきました。

 地崎組伊屯武華出張所の死亡者名簿について、中央慰霊実行委員会は「敗戦直後十四柱の遺骨をまつった慰霊祭の写真と、北海道実委の調査により、中央慰霊祭実委は、少なくとも遺骨の一部は生存者集団送還時送還されたものと推定する」としています。

 その根拠に「14名の死亡者をまつる慰霊祭執行の写真」を挙げ、「この慰霊祭には、李成、干長徳がまつられていないことから、昭和二十年(一九四五)八月十五日より同九月十八日(李成の死亡日)迄の間に行われたものと想像する」とのべています。

 しかし、この「昭和二十年八月十五日より同九月十八日迄の間に」という推測は、李成氏の死亡日(1944年9月18日)、干長徳氏の死亡日(1944年9月30日)=死亡診断書=を間違うという初歩的な誤りを犯しています。この名簿自体昭和二十年としているのですから、あまりにずさん。いくら戦後の混乱の時期に、1日も早く遺骨返還をという中でのことだったのでしょうが。伊屯武華に連行された中国隊は、その後、置戸・大府・平岸と移動させられていること、1年半で31人が亡くなっていることが把握されずに写真と殉難者名簿からあれこれ推測したのでしょう。