宮浦坑で働かされた劉千さんの日本での法廷証言(1)

 北京の地裁に提訴した劉国蓮さんの父・劉千さんは、福岡県の宮浦坑で強制労働をさせられました。「弁護士法人奔流」というHPに劉千さんの日本の法廷証言が掲載されています。(小見出しは、便宜的につけました)

 

 原告11 劉 千(80才)

**第12回口頭弁論(2001年9月21日)での証言<尋問調書より抜粋>**

         

[質問者 原告ら代理人(弁護士 池永 満)]

強制連行の経緯について

57、8年前に、日本に来たことがありますね。

-はい、来ました。

そのときは、自分の意思で来られたんですか。

-銃剣で脅かされてきました。

あなたが何歳のころのことですか。

-22歳です。

連行されたとき、最初にあなたに連絡をしてきたのはだれですか。

-村の行政担当に保長というのがいるんです。保長さんから聞きました。

どのような連絡でしたか。

-仕事があるから、仕事に出てほしいと言われました。

仕事があるからどこに集まれというような話はありましたか。

-県庁のところに集まってくれと言われました。

そこには何人くらいの人が集まっていましたか。

-200人くらいです。

200人くらい集まっていた人は、それからどうなりましたか。

-銃剣の下、私たちは貨物列車の中に詰め込まれました。

貨物列車に乗せられて、どこに運ばれたんですか。

-塘沽に連れて行かれました。

塘沽に着いてからどうなりましたか。

-塘沽に着いてから、けん銃や銃剣を持った人がずっと囲んで我々を1か所に押し込みました。

建物を取り囲む鉄条網のようなものもありましたか。

-はい、ありました。鉄条網には電気が通っていたようです。

建物の周りには、コークスの殻とかガラスの破片とかを敷き詰めていたようなことはあるんですか。

-はい、そうです。

塘沽から日本に向かうということについては、いつごろ聞かされましたか。

-それは、かなり早くから分かってました。おまえたちは日本の炭鉱に連れて行かれるんだという話を聞かされましたけれども、私たちはどうすることもできませんでした。

塘沽からは船に乗せられて日本に向かったということですね。

-はい、そうです。

日本に上陸して、いろいろ経路をたどったと思いますが、最後に着いた場所について名前を覚えてますか。

-三井の宮浦坑に連れて行かれました。