読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

北京の第1中級人民法廷に提訴した強制連行被害者遺族の思い

北京の第1中級人民法廷(地裁に相当)に提訴した強制連行被害者および遺族のインタビューをしんぶん赤旗の小林拓也記者がおこなっています(4月7日付)。

 

f:id:machikiso:20140412072318j:plain

 

父が三井鉱山で労働劉国蓮さん(58)

 

 

劉国蓮さん(58)は弟とともに原告団に名を連ねました。

父親の劉千さんは河北省で農民をしていた1944年に、現地で労働者の募集に応じました。しかし、日本行きだとは知らされず、何もわからないまま、福岡県に連れていかれ、三井鉱山(日本コークス工業)の三池炭鉱(現福岡県大牟田市など)で労働を強いられました。

 45年の帰国後、裁判などのため日本を2度訪れました。しかし、20104月に、心不全で亡くなりました。89歳でした。

自分の死期を悟った劉千さんは、子どもたちに「日本政府はまだ私たちに謝罪していない。機会があれば、私のために正義を取り戻してほしい」と語りました。

劉国蓮さんは「父は浪費を許さない人だった」と振り返ります。20年ほど前、劉国蓮さんの弟が自転車で小麦の粉を運んでいた時に、袋が破けて粉が土の上に落ちてしまいました。みんなが「捨てればいい」と言ったのに、劉千さんは「強制連行されたときは、麦のカラも食べられなかった。土が混ざったからといって捨てるなんてもったいない」とつぶやきながら、土の上の粉を拾い、ふるいにかけ、土が混ざった黒っぽいマントウ(蒸しパン)を作って一人で食べました。

劉千さんは右脚に傷が残り、歩くのが不自由でした。強制連行されたとき、食べ物が少なくおなかが減って力が出ず、炭鉱での作業中に休憩したとき、日本人の監督官がおので劉千さんの脚を打ったからです。

帰国後は北京の農村で暮らしましたが、脚が不自由なため農作業ができず、貧しい暮らしを強いられました。それでも責任感が強くまじめな性格だったため、村の食糧倉庫や工具の管理などを任されました。

劉国蓮さんは「裁判所が訴状を受理したことはうれしい。日本政府と企業に謝罪と賠償を求め、父の尊厳を取り戻す機会ができた」と語ります。