北海道の中国人慰霊碑(5)

芦別市で中国人を使役した作業場は、川口組芦別出張所と三井鉱山芦別鉱業所の2カ所である。川口組芦別には、中国人600人が連行されてきた。19441115日に下関上陸後1人が死亡している。194512月1日に帰国するときには327人に減っている(うち1人が日本に残留)。三井鉱山芦別鉱業所には、3次にわたって連行されてきた。塘沽での乗船者数は684人。船中51人、下関上陸直後に23人、事業場内では171人が死亡しており、死亡率は35.8%である。2つの事業所をあわせれば、中国人1284人のうち40.3%が亡くなっている。

強制連行・強制労働による全国の死亡者は6830人で、死亡率17.5%である。事業場別で高かったのは、戦線鉱業仁科の52%、川口組芦別46%北海道炭礦汽船空知天塩が45%である。こうしたデータのなかで芦別市の強制連行をみると、死亡率の高さに着目せざるをえない。