北海道の中国人慰霊碑(3)

置戸町で中国人を使ったのは、地崎組置戸出張所と野村鉱業置戸鉱業所の二つ。

地崎置戸は、イトムカで使っていた488人のうち石家荘の収容所から連行した290人を転用しました。地崎の場合、置戸での死亡はありません。

野村鉱業置戸鉱業所では、伊藤組が416人を使いました。伊藤組がいつ、中国のどこの港から中国人を連行してきたか「華人労務者移入・配置及送還表」に記載がありません。契約数は500人で、乗船数は497人ですが、船中で68人が死亡し、上陸後置戸に来る(1945年6月1日)までに15人が死亡しています。置戸に到着した416人のうち203人はそのまま伊藤上砂川に移動。残った213人は1945年8月14日まで置戸で働き、21人が死亡。8月15日に伊藤上砂川に移りました。

したがって置戸での中国人の死亡者は、21人ということになります。