愛知における強制連行問題の取り組み(21)

 20131010日の岩田地崎建設の「愛知・大府飛行場強制連行被害者を支援する会」にたいする回答書は次の通りです。

 

前略 ご回答書の送付が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

戦中戦後の混乱期に、当時地崎組が請負った大府飛行場などの国策事業に従事され、疾病や負傷により亡くなられた方々ならびにご遺族様に、心から哀悼の意を表しますとともに慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

先般(912)当社にお越しいただき、貴会より「大府飛行場等における中国人強制連行・強制労働に対する謝罪と補償についての申し入れ」をいただきました。関係者と再度検討致しました結果、最高裁の判決が確定し結審していることから、当社の補償義務はないと判断をしております。従前より当社は、裁判所の判決に則してきましたが、今後もその方針を変えることなく対応することにいたしました。

従って今回、貴会からの「申し入れ」に応えることができませんのでご了承願います。

以上、ご回答書といたします。

草々

 

この「回答書」にたいする愛知・大府飛行場強制連行被害者を支援する会」の批判点は、①「裁判所の判決に則する」という言葉によって、法的な補償義務の有無のみを問題とし、西松裁判最高裁判決の付言に明確に述べられたように、自発的に企業が不法行為による被害の救済のために努力するという道義的又は人道的責任の問題を完全に無視するものである。そして地崎組の不法行為の存在は北海道訴訟札幌高裁判決で確定している。この問題は生存者の「提訴書」においても、今回の私たちの「申し入れ書」においても、今回の交渉の中でも、繰り返し強調したことであり、私たちが求めたのはこの企業の人道的責任の問題に対する岩田地崎建設の見解を明らかにすること、それに基づいて問題の解決の為にどのように取り組むか、を示すことだった。その経過を踏まえて、今回の「ご回答書」を読むと、岩田地崎建設がこの人道的責任の問題をタブーとして、ひと言も語ってはならないという姿勢が明らかとなる。果たしてそういう姿勢をいつまでもとり続けて、日本においても、中国・韓国をはじめ諸外国においても、企業として活動して行けるのであろうか。改めて社長をはじめ総務部長など岩田地崎建設の人々に、真摯な再考を求めざるをえない。これは宋殿挙氏の素朴で誠実な人間としての当然の要求を鉄面皮に踏みにじるものである。②冒頭部分の一節、「戦中戦後の混乱期に、当時地崎組が請負った大府飛行場などの国策事業に従事され、疾病や負傷により亡くなられた方々ならびにご遺族様に、心から哀悼の意を表しますと共に・・・」と述べている部分であるが、前回の回答に含まれていなかった死者及び遺族への「哀悼の意」の表明として一定評価すべき箇所と言えるが、しかし同時にその死に対する責任回避の意図も感じ取られる一文であることも私たちは見過ごすことはできない。「戦中戦後の混乱期」や「地崎組が請け負った」、「国策事業」等の表現は、地崎組が戦争という異常事態の中でやむを得ず国策に従って行った仕事の結果であることを示唆しようとしていると言わざるをえない。しかし、歴史の実態はそうではない。本社交渉の席でも具体的に指摘したように、地崎組代表地崎宇三郎(2代目)は、中国人労働力の「内地移入」を積極的に政府に働きかけた主唱者の一人なのである。そして正式移入が始まると真っ先に手を挙げ最初の割り当てを受けた企業である(私たちが支援している496名はまさにその最初の集団である。)そして、最後まで中国人強制連行に最も熱心な企業であった。さらに、地崎宇三郎は戦後連合軍検事局によって中国人の「奴隷労働」の責任者として戦犯容疑の追究を受けた記録も残っている。岩田地崎建設は上記の曖昧な責任逃れの底意を持つかのような表現を用いる前に、地崎組の中国人強制連行の歴史を自ら正確に知らなければならない。

 そして同会は、謝罪・賠償・慰霊碑の建立という3つの要求を「引き続き堅持し、絶対に軽々しく放棄しない」という遺族の意思が劉宝辰教授を通して伝えられたことをあげて、中国人被害者・遺族の意思を確認し、「この問題の解決のために、地崎組が行った不法行為実態の調査と地崎組及びその後継企業である岩田地崎建設が被害者の当然の要求を拒絶し続けている問題を地元愛知をはじめ広く日本内外の人々に伝える運動に取り組むつもりである」と表明しています。また、地崎組の不法行為の歴史の解明という点では、北海道の人々と共に、地崎組の大夕張(死者148人)や東川(死者88人)等、他の事業場の調査、西本願寺幌別院遺骨問題との関連の解明等にもとりくむとしています。

さらに、「日本での裁判終了後のこの問題の解決のためには、関係企業が人道的責任に基づいて謝罪と補償を行うのは当然であるという世論の形成が不可欠」であり、「日本国政府のこの問題に対する拒絶的な姿勢を批判する運動にもさらに取り組む必要がある」としています。