愛知における強制連行問題の取り組み(14)
【5人の証言 孔繁河さん】
訴えている5人の最後の一人、山東省聊城市在住の孔繁河氏から南守夫さん(元愛知教育大学教授)がインタビューをしています。ここでは、伊屯武華での体験の部分について転載します。
(南)伊屯武華での労働の内容を覚えていますか。
(孔)車を押した。
(南)何を運びましたか。
(孔)土の山を爆破して、土を車で運ぶ。
(南)水銀のため池をつくったといわれていますが、ダムとかため池は覚えていますか。
(孔)堤とか堤防をつくった。堤をつくる目的は、今後、ここに水銀工場をつくるということで、そのために流れてきた水を遮断するために山を崩して、その土で堤防をつくった。
(南)その堤防の高さはどれくらいでしたか。
(孔)人間の高さ、人よりちょっと大きい。
(南)この工事では、朝鮮人も働かされたという記録があるんですが、朝鮮人を見た記憶はありますか。
(湯)孔さんが覚えているのは中国人だけです。
(南)朝鮮人労働者が水銀のため池に生きたまま捨てられて殺されたという証言があるんですけれども、そういう話は聞いたことがありますか。
(孔)聞いてない。
(南)工事の監督から殴られたり暴行を受けたという劉先生の報告がありましたけれども、日本人監督からひどい扱いを受けましたか。どういう男でしたか。
(孔)当時のクルマといって、下にレールのあるトロッコです。みんな順番で行列をつくってやっているので、この中では体の大きい人と小さい人、元気な人と体のちょっと弱い人がいます。自分は弱いほうですので、同じなんかをやってもいつも遅くなるわけです。自分が遅くなったら、ほかの人の邪魔になるので、それで日本人監督からしょっちゅう殴られました。
(南)北海道の伊武華で一番つらかったことはなんですか。
(孔)日本人の監督に殴られたことは一番つらかったし、忘れがたい。