愛知における強制連行問題の取り組み(9)

(楊印山さんの証言のつづき)

あの頃は草鮭を履いておりまして、7日に1度草履が支給されていたのですが、でもいつも1日半で履きつぶれてしまい、残りの5日半は履くものがありませんでした。それに彼らは体を洗わせるのですが、浴槽に二人が立って入ることもありました。午前中は太陽が昇る前から仕事が始まり、午後に戻ってくると浴槽はいっぱいでした。食事は大豆粉だったのですが、食べた後はお腹が苦しくて、トイレも見つかりませんでした。留辺蘂でのことです。

名古屋に着いて、一食あたり二つのマントウが出ました。100グラムにもならないものでした。腹いっぱいにならなかったので大根を盗んだりしていました。(盗んだ大根は)トイレの中に隠していました。大根が減ったのを見つけると、(現地の農民は)自分たちで収穫してしまいました。

名古屋に行った時に車にぶつかって7日間休みました。治りましたけど、再発して、今度は1カ月休みました。全部で1カ月と数日間休みました。レールの上を走る車です。衛生員がいて、治療を受けに3度連れていってくれました。(ぶつかったところは)膝の下です。骨折はしませんでしたが、黒く腫れあがりました。薬を3錠もらいました。何の薬かは知りません。

私たち300人は9つの班に分かれていました。済南の人は7つの班に分かれていました。遠くなかったですよ。300メートルくらいです。(二つの隊が互いに行き来するようなことは)ないですよ。3000メートルある道の上を毎日トロッコで50杯も押して運んでいたのですから。彼らだって(私たちを)相手にしないし、(行き来する)理由なんてありませんでした。

 工事現場へ行く途中の田んぼの水を飲んでいました。飲んでから工事現場に行きました。