中国人強制連行問題解決への新たな展開(1)

 「しんぶん赤旗」が「中国人強制連行問題 新たな展開」と題する連載を本日(2013年12月24日)から始めました。裁判終結後、国・企業との和解を目指す市民運動が各地で新たに始まっているとしています。

 

中国人強制連行問題 新たな展開 上

京都・大江山 「未解決、放置せず」

 

 1990年代半ばから十数年にわたって争われた10余件の中国人強制連行裁判は、2011年にすべて終結し、被害者約4万人のうち企業との和解によって救済の対象になったのは1500人余です。全員の救済をめざし、あらたな取り組みが始まっています。 (尾崎吉彦)

 京都府北部、与謝野町にある大江山鉱山日本冶金工業)。アジア太平洋戦争が進展するにつれて、兵器生産に欠かせないニッケルの増産が求められ、国内の労働力不足を補うため、1944年10月、中国河南省などから中国人200人が連行されました。

 

●「血と汗を償って」

 河南省新郷在住の孟増堂さん(86)は、畑仕事をしているときに日本軍に捕まり、連行されました。18歳でした。孟さんは、大江山の強制連行問題に取り組んできた「中国人戦争被害者の要求を支える会京都支部」の人たちの聞き取りに証言しています。

大江山では、日本兵が銃を構えている中で終日石を掘り、積み上げ運び、毎日10時間ほど働かされました。1回の食事はたった1個半の豆かすの団子とおわんに半分の海藻スープで、住むところはバラックの棚。満腹にならず寒さに着る物もない、殴られ、ののしられるのは日常のことでした」

 同事務局長の桐畑米蔵さんは言います。「あしかけ10年におよぶ裁判闘争は、最高裁の棄却(07年6月)で終わりました。裁判後も会を存続させ、各地の運動団体と交流するなど活動をつづけてきました。そういうときに、河南省の被害者・遺族から企業と話し合いたいので協力してほしいという手紙がきました」

 河南省の被害者と遺族でつくる大江山分会の会長・鹿金衛さん(43)は、「日本に行って働いてでも、親たちの血と汗の賠償をたたかいとりたいのです」と訴えていました。

 

河南省で聞き取り

 支える会京都支部は今年4月、河南省に代表を派遣し、孟さん、鹿さんから被害の実態や要求を聞き、どのような取り組みをすすめるか話し合いました。企業との交渉による解決には長いたたかいを覚悟しなければならず、中国でも支援者を組織することや、被害者の口述記録を作ることが必要なことも提起しました。

 被害者らは5月に日本冶金上海支社に交渉の申し入れに行きましたが、回答はなく、支える会京都支部の福林徹代表らが7月12日、日本冶金本社(東京)に赴き、話し合いに応じるよう求めました。

 桐畑さんは、「大江山では、200人の被害者のうち、救済されたのは6人だけで、194人が未解決のままです。このままほうっておくことはできません。広く世論に訴えて解決の道を切り開きたい」と話しています。

                                     (つづく)

 

 

 

大江山訴訟 京都地裁は、原告6人の被害実態を事実と認定し、国と日本冶金工業の共同不法行為、および同社の安全配慮義務違反を認めましたが、損害を請求する期間を過ぎているとして、賠償請求を退けました。控訴審のなかで同社は和解に応じたものの、国は拒否。そのため、国を相手に最高裁まで争われました。