米機による平岸中国人寮への救援物資投下(17)

地崎組社員・小倉栄治氏は、このときのもようを次のように記している。

「何かあるなと思った途端、機の胴体よりなにか落としている。寺西所長に話すと飛び出して行った。やがて落下傘が開いて、ゆっくりと警察官舎方向に流れおちていくのが見えた。すると華人宿舎から、恐らく全員が何か叫びながら、落下物の方向に走り出していくのが事務所窓から見えた・・・大勢なだれ込んできた。私は大声で机の上に静かに降ろすように叫んでよく見ると、驚いたことに横たわっているのは寺西所長である」

「その時釧路警察署巡査部長が、小倉さんに話したいと入って来た。・・・寺西所長は警察官と一緒に、散乱している投下物資を集めているところを、華人たちは所長と警察官に横取りされる、と誤解されて襲われた事情を説明し、これからの処置について打ち合わせに来たという。警察官の負傷者は警察のトラックで滝川の町立病院に移送するとのことで、所長は当方に看護人がいないので、そのトラックで札幌まで送って貰うことにし、出発した」

 

 この騒動で、村上警部は前頭部裂傷右肩打撲で全治3週間、大川警部補は左平甲及び拇指捻挫全治1週間、中田少尉は頭部及び大腿部打撲傷右手人指し裂傷全治2週間のけがを負った(地崎組報告書)。そして、中国隊も警官らを襲ったことは行き過ぎたとして、「本件勃発に付き華人側は代表を以って陳謝し宿舎内に在り門を閉じ謹慎の意を表せり」という。