米機による平岸中国人寮への救援物資投下(12)

唐元鶴さんは、父が書いた回想録(「中国戦俘隊在日本」、年月日不詳)を持ってきていました。米軍の救援物資投下事件については次のように書いています。

 

――近くの炭鉱で働かされていたアメリカ人捕虜3人が中国人寮を訪ねてきた。アメリカ人は、われわれは同盟軍であり、あなたたちの状況を電話で伝えましょうと言っていた。翌日、米軍機が「中国戦争俘虜」の意味の英文字を表示せよと書いた赤い布を落としていった。

――屋根に上って水で字を書き、小麦粉をその上にまいた。翌日、米軍の輸送機3機が飛んできて、落下傘が落とされた。記憶では、落下傘は80くらいで、それぞれに五つの大きな箱が結び付けられていた。大箱の中には四つの小箱が入っていて、乾パンや牛肉・豚肉などの缶詰、たばこ、マッチ、トイレットペーパーなどが入っていた。