米機による平岸中国人寮への救援物資投下(4)

米機による平岸中国人寮への救援物資投下ということについて、米軍側から見てみよう。

『捕虜収容所補給作戦 B29-部隊最後の作戦』所収の「中国、朝鮮、台湾、満州および日本本土に向けた戦時捕虜補給作戦に関する報告」に、米軍がおこなった捕虜収容所にたいする物資投下作戦の概要が述べられている。

米軍は、1945年8月27日から9月20日にかけて、日本側の手にある戦時捕虜と抑留民間人にたいし、食糧、衣類、医薬品を補給する作戦を行った。全般的な計画は第20航空軍司令部がたて、航路、積荷、作戦日程などの個別計画は、作戦に従事する航空団が立てました。計画に必要な補給品は、69000人にたいして30日分の補給を基礎として考えられた。西部太平洋基地軍を通じて、すべての補給品がサイパンで入手できるように手配された。

40個の投下単位から成る重量10000(4.5トン)の積荷が、B―29の積載能力であり、投下の最良の高度は500フィート(150メートル)から1000フィート(300メートル)の間、最良の飛行速度はおよそ165マイル/時(265キロメートル/時)であった。

3日分、7日分、10日分という3種類の補給品投下が計画され、3日分の補給品にはジュース、スープ、衣類、医薬品が含まれ、7日分の補給品には、さらに余分の衣料品とさらに内容のある食糧が含まれる。7日分の補給品にはほとんどすべての食糧とある種の医療補給品が含まれている。条件があれば、個々の航空機による投下状況の写真も撮影することにした。

通常は、それぞれの航空機は、200人分に十分な補給品を、特に3日分、7日分、10日分として運ぶことになっていた。

以上が、投下作戦のあらましである。