地崎東川の個人別給与精算表(7)

3 表に基づいて給与は支払われたか

 表のタイトルは「給与精算表」であるが、この表にしたがって中国人らに給与が支払われたかどうかは別の問題である。

 西成田豊氏は、地崎組落部隊総隊長の26661885銭の領収書を掲示して、「問題は、賃金を一括受領した隊長が配下の隊員に納得のいく公平な分配をしたかである」とのべて、給与は支払われたとしている。この論の進め方からすると、同氏は、この領収書が本物で偽造されたものではないと判断されているのであろう。しかし、その結論を導く何らかの検証はされたのであろうか。

地崎組伊屯武華の人たちは一様に給与は受け取っていないと答えている。同じ企業で使役されているのに、この違いはどう説明できるのだろう。お金を受け取った中国人たちがいたとして、それが賃金といえる性格の金銭であったといえるだろうか。

他の企業で強制労働をさせられた人の話だが、「帰国間際に賃金をもらった」という人がいた。どれくらいの金額だったかと聞くと、「天津について、1週間ほど旅館にとまったら使い果たした」ということだった。「金を受け取ったとき、その金がどういうものであるか説明がありましたか」と聞くと、「説明はなかった」という返事であった。「では、そのお金は賃金かどうか分かりませんね」「ただそう思っていた」。被害者は、日本政府は中国人の日給を5円と定め、企業もそれにしたがって戦後の国庫補助申請では、15円を支払ったことにして相場との差額分を国に請求していることは、まったく知らない。もし、被害者が自分が受け取るべき賃金がどれくらいかを知っていれば、わずかの金を賃金と思い込むことはなかったであろう。地崎組の場合、華北労工協会との契約数は1835人であり、12カ月分の給与を戦後の混乱期に短時日に調達できただろうか。かりに払うべき賃金を帰国に際して渡せるよう銀行に預金していたとしてもである。

こうしたこともふくめてさまざまな角度から「給与」が実際に支払われたのか、なにがしかの金が渡されたとして、その性格はどういうものであったかを検討しなければならない。