名古屋―平岸連送(3)
明細に書かれている6月23日の電報は一連の綴りにはなかったが、この電報を受けて、地崎組本店は秋田屋旅館に電報を打っている。
●6月23日秋田屋旅館あて 二四ヒアサ六メイツクタノム チザキグミホンテン
(24日朝6名着く 頼む 地崎組本店)
「華人連送」にあたる先発要員6名は、名古屋を6月23日に出発した。青森で行政や船会社との折衝などをおこなったのであろう。
●地崎組労務部長あて ナゴヤカンリキョクヨリコノチカンリキョクアテレンラクナキタメ フネノテハイデキヌ ナホ二六ヒ一〇ジトアルワアヤマリノゴトク カクジツナルシラセナキタメコノチコンギャクチュウ オオフアテダデンセルモ 一タイ二四ヒ二一ジノブンハ二六ヒヨル六ジフネニノル ヒラギシワ二七ヒ三ジナリ タキカワノリカヘ ア
(名古屋管理局よりこの地管理局あて連絡なきため船の手配できぬ なお26日10時とあるはあやまりのごとく 確実なる知らせなきためこの地こんぎゃく[混乱?]中 大府宛て打電せるも 一隊24日21時の分は26日夜6時船に乗る 平岸は27日3時なり 滝川乗り換え 荒金)
中国隊は、鉄道輸送の事情で全員を同じ汽車に乗せることはできず、隊を分けて移動することになった。一隊が名古屋をいつ出発したのか、乗り換えの東京には何時に着いたのかを示す電報はない。この時点での一隊の乗船予定は26日夜6時である。