地崎東川3-4月の日誌 作業場は戦場(2)

山崎指導はさらに、22日午後650分の点呼後班長を集合させて、中国勤労隊員の使命を強調し、「班長中心ノ突撃作業」を求めた。そして、翌23日、「此ノ四五日出勤稼働率ノ目醒シキ上昇ヲ賞シ、出勤六日以上ノ者ニ対勤労酒ヲ配給シ一日ノ休養ヲ取ラシム」とニンジンを鼻の前にぶら下げることもした(ただし、「一日ノ休養ヲ取ラシム」という事実はなく、23日は雨天で作業は休みだった)。

19186人、20185人、21184人、22188人の出働で、20日の作業日誌欄外には「出勤率82%」と書きこみがされている。3月1日以降の出動者数は146168人であるから、その違いは画然としている。

24日は、休養者をさらに減らすため、「隊長ヲシテ再調査セシメ明日出勤スル様督励」させた。そればかりか室内ストーブも1個に制限し、「ナル可ク出勤スル様注意」することも行っている。

このようにして中国隊を締め上げていったが、それが日誌に如実に表れている。

「零下一二度気温下リ二三日来ノ厳寒ナルモ隊員志気盛ニシテ…作業開始」「日系指導員硫黄島ノ奮激ニ答ヘ益々悲憤ノ突貫作業ニ当ル」(25日)

「小谷、平塚喜指導員二名待望ノ御召ト成ル。手不足ノ充後ハ益々一線ニ近ヅキ愈々各指導員ハ指導長ヲ中心ニ一丸以ツテ米英打倒ニ協力華工ノ指導ヲ要望アリタリ」(26日)

「夜来ヨリ風強ク午後小雨雪トナルモ全隊員敢闘。ビショ濡レトナリテ帰隊ス」(27)

4月1日の日誌は、「現場水多キ為困難ナリ」と記述している。中国隊員を鼓舞し、困難を突破するよう檄文が本店から送られた。これを受けた2日の日誌は、「全隊員総突進運動ノ第一日トシテ発足ス。融雪ノ為水多ク作業困難ナルモ隊員勇気百倍シテ突進スレバ春風ニ肌生暖シ」と書いている。

4月7日に1名死亡した。「石門訓練所以来ノ身体虚弱者未ダ後ヲ絶タズ二〇五番一名遂ニ死亡ス」。3月後半から「能率増進計画」「総突撃」によって稼働人員を増やし続け、ついに死者を出した。205番の前日までの状況が詳しく書かれていないが、「休養していたが死亡」とせず、「身体虚弱」としているところからすると、以前は休養していたが、働かされるようになってついに亡くなったのではないだろうか。この日は作業中に30番が体の震えを訴えたが現場にとどまらせ、午後5時の閉業で他の作業者とともに帰らせている。

4月8日、「久方振リノ春暖ニ隊員ガンバレノ掛声モ勇シク奮闘シ冬期ノ不成績を挽回ニ努力ス」。

4月9日、舎内ストーブ使用禁止。