地崎東川事業場日誌/12月 「凍傷患者を診療」

  遊水池工事は、春の水耕前に完成が求められていたから、真冬の排水路工事となった。砂利採取はときには水に入っての作業となった。1211日の日誌は、「午前七時二〇分出働。本日一二三名。幹線排水。第一小隊玉石取。寒冷ヲ忍デ隊員一同意気軒昂なり」と書いている。

  「意気軒昂」というが、川の中の作業で、中国人らは相当ひどい凍傷になっている。

 

[1215]本日栗城医師ノ来診アリ。足モトノ不完備カラ凍傷患者続出。四十名ヲ数ヘルニ至リ本日手当ヲナス。

 14日の出動人員は102人であるから、凍傷で4割以上に仕事を休まれてはどうにもならない。15日は「寒風強」く作業をおこなうことが困難であるため、休業にして医師を呼んだ。「足モトノ不完備」とは、ゴム長くつを支給せずに、川に入らせていたのであろうか。栗城医師は5日後の20日、さらに5日後の25日にも往診している。

[1220]本日午後二時栗城医師ノ来診アリ。凍傷患者及其他病者ノ診療ヲナシ四時三十分退舎セリ。

[1225]午後二時三十分栗城医師ノ来診アリ。外傷及内科患者ノ診療ヲナシ午後四時退舎セリ。

  凍傷の原因である「足モトノ不完備」について、地崎組は、何もしなかったわけではなさそうで、12月7日の日誌には「ゴム足袋等実文数ヲ合セ足モトノ完備ヲサセタ」と書かれている。凍傷の恐れがあり作業開始時間を遅らせてもいる。しかしその対応は十分であったか。日誌ではどのような装備で作業をさせたのかわからないが、作業開始時間は、せいぜい30分か1時間程度であった。

 

地崎組の下請けの「平山組」組長の娘である佐藤幸子さんは、「凍傷のために肉が崩れて足の骨が割箸のように見えるのだった。厳寒の水中作業に加えて大雪山系から吹き下ろす風はたちまち凍傷患者を続出させた」(『増補中国人強制連行事件―東川事業場の記録―』)と語っている。