地崎東川作業場日誌10-11月(1)

 10―11月の日誌 「小間割作業能率上がり」

東川では、11月5日から6日にかけて雪が降り、7日はみぞれが振っている。この3日間は、作業はとりやめになった。この間に休養・入室者は76人(5班は3名)とわずかながら増えている。

天気が回復し、作業が再開されたが、8日の休養・入室者は88人。9日、10日、11日は93人。死者も7日は1名、9日1名、112名と続いた。

中国から日本に来るまでに死のがけっぷちに立たされ、衰弱した体は1、2カ月では回復せず、さらに厳しい寒さは、わずかに残っていた体力を容赦なく奪い取っていく。これらの数字からそうした状況を物語る。

1113日も降雪で「出働不可」。この日、「十名病休休養の処本日回復し所属隊に戻る」と記載されている。10名が回復し、所属隊に戻っている。何が起きたのだろうか。

13日の点呼表、すなわち13日朝の点呼では入室者は35名であるが、14日の朝の点呼では入室者25名である。したがって記事と表は一致している。13日の記事に「大塚所長来舎」「華人幹部よりの申し出に依り会食をなす」とある。これらが関係しているのであろうか。