『愛知・大府飛行場における中国人強制連行・強制労働』出版(3)

 報告書新版では旧版になかった写真が多数掲載されています。この数年の調査のなかで得られたものでしょう。なかでもたいへん興味深いのが、38ページの天津労工紀念館に安置されている遺骨箱の写真です。この写真と、同論考の末尾に掲載されている「地崎組石門済南隊:死亡者31名の名簿と遺骨所在地一覧」を合わせて見ると、南氏が一つの謎を提示されていることと読めます。

表では、宋学海氏の遺骨の所在地が「天津労工紀念館又は河北省威県妹源屯村」となっている点です。

この河北省威県妹源屯村は、宋学海氏(これは日本での名前で、中国での名前は宋振海)の出身の村です。河北大学の劉宝辰教授は、大府で亡くなった5名の遺族をさがしてほしいという依頼を受けて調査した結果を「宋学海・許東民・張玉柱についての調査報告」としてまとめ、愛知の人たちに書き送りました(P88~)。そこでは「宋学海の遺骨が入った箱は1945年末に中国に戻った宋振海と同じ県の同郷の者7名が日本から持ち帰り、県政府に預けられ、後に家族に連絡が入って取りに行った」とあるのです。

今年9月上旬に北海道と愛知にこられた宋学海さんの弟の宋殿挙さんは、1945年当時、2、3歳でしたのでくわしいことは覚えていなかったようですが、結婚しないまま亡くなった兄のために、85年に「死親」という儀式をおこない、遺骨を埋め直したとのことですから、遺族の元に届けられたことは間違いありません。

なぜ、二つあるのか? 南氏は、論考ではこの問題のことをはっきりお書きになっていませんが、この問題を解き明かすことをお考えになっていることでしょう。