井華赤平の田世珍さん(2)

井華赤平で働かされた田世珍さんの証言です。

 

北海道赤平町の炭鉱で働かされた。そこの労工の宿舎は"中華寮"といっていた。着いたすぐは仕事をせず、10日間休んで、この期間に日本人は私達に日本語を学ばせた。仕事は、昼班と夜班の2班交代で、それぞれ12時間労働した。

私の仕事は石を掘り、電気ドリルで穴をあけることだった。穴を開けたあと、日本人がハッパをかけ、炸裂してできた石炭を電気で動かすケーブルカーで運び出した。各自に1日のノルマが割り当てられ、ノルマを達成しないとひどく殴られた。仕事を終えて、また日本人が終わりだというのを待っていなければならず、日本人が終わりと言って、私達はようやく終わることができ、そうでなければ現場を離れることは許されない。

食べ物は、ドングリの粉でつくった小さいマントウで、1度に1個。朝と晩にそれぞれお椀に半分の野菜が付いた。昼ご飯は、小さいマントウ1個を現場に持って行って食べ、野菜はない。間の休憩はとれない。腹一杯食べられず、仕事も緩慢になる。日本の工事監督が見ていて、動きが遅いとひどく殴った。

日本人はいつも労工を虐待した。石福朝は無残にも凍死した。彼の足は腫れて、歩くことができない。ズボンをはいたまま大便を垂れ流すので、日本人は彼が汚いと嫌がり、彼を便所に投げ入れて凍死させた。石廷傑は病死した。医者はみんな女性の医者で、毎日1回くる。診察といい、何もしなかった。ある労工は下痢をし、医者は3日間食事をさせなかった。それが原因で餓死した。死んだ労工はみな日本の墓地に運ばれ、焼かれた。仕事をするものを除いて、日本人は連れて行ったが、ふだんはまったく私達を外出させない。