井華赤平の何洛柱さん証言(3)

 私(何洛柱)の坑内での仕事は、穴をあけることだ。穴をあけ、発破をかけた。私を率いた日本人の監督は、三宅という人で、彼は中国東北で何年かいたことがあり、中国語が話せ、中国語を聞き取ることができた。働いていた時、私たちがたいへん疲れて我慢できない、休みたいと言っていたとき、彼はそれを聞いて、何も言わずに工具をつかんで、私たちを殴りに来た。その後、私たちは休みたいときは、1人を歩哨に立たせた。

 多くの労工は仕事で仮病をつかうことは考えなかった。日本人にばれれば、必ずひどく殴られる。あるとき、隊の者が病気になった。日本人は仮病だと言い張り、彼を殴った。私たちは日本人に、「病気だと言ったら病気だ。彼は仮病を使っていない。殴るな」と言った。それでようやく彼に10日間の休みを与えた。そのあと病気はまだよくはならなかったが、引き続き彼は働いた。日本人らは労工に休む暇をあたえない。私たちはその坑内で10数日働いて、また別の炭鉱に変わって働いた。

 あるとき、地滑りが起きた。わたしたちはそのとき坑内にいた。河南の者が押しつぶされて死んだ。私の頭上の鉱山用のランプも壊れた。坑内でトロッコに石炭を積み、一杯になったので、縄で引き、上の方のものが聞いて、トロッコを機械で引っ張り上げた。私たちは柱を支え、崩れるのを支えた。ある者は穴をあけ、風が通った。柱を支えていたとき、風の穴はブンブンと音がした。

(注:「殉難者名簿」では、作業中の落盤・落石による死亡者は4人。全員が河北省出身者でとなっており、死亡日はそれぞれ、45年3月9日、4月9日、4月17日、5月19日である。)