「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(13)

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Ⅴ 平岸油化工場の痕跡

 

滝川市の友人と日本油化工業跡を探して回った。確認できたのは、

  油化工場の施設の一部で、コールタールの貯蔵槽。コンクリートの一部が地表に表れていた。また、少しだがコールタールも見られた(写真)

  地崎組の飯場の跡

―である。

 

  病院の基礎(現宮崎武宅付近)

  中国人寮は、平岸二九線(現平松諄宅)の周辺に二棟あった

 ーほぼ場所は特定できているが、痕跡は分からなかった。

  中国人が騒動を起こした井戸は、恐らく藪のなかで、しかと確認することはできない。