みかん畑のテントに向かって兄を思う

  11日に来日し、12日に札幌市で連行企業・岩田地崎建設と交渉した河北省威県の宋殿挙さんは、14日、愛知県の東海市でおこなわれた「第5回中国人強制連行殉難者追悼式典」に参列されました。

 

◎強制労働の中国人追悼 遺族ら飛行場跡訪問 愛知

                (しんぶん赤旗2013年9月15日)

 第2次世界大戦末期に中国から日本に連行され、愛知県の旧大府(おおぶ)飛行場(東海市大府市)で拡張工事のため強制労働させられ亡くなった宋振海さん=当時(27)=の弟・宋殿挙さん(71)=河北省威県在住=が14日午前、飛行場のあった東海市を訪れました。

 大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会の南守夫代表委員(元愛知教育大学教授)の案内で、飛行場跡や被災現場、火葬場などを視察しました。

 今はミカン畑になっている被災現場で南氏が「この付近に強制連行者の天幕宿舎があった。この付近でお兄さんは被災したと思われる」と説明すると、宋殿挙さんは涙ぐみながら「兄さんは生きて中国に帰りたかっただろう」とつぶやきながら黙とうをしました。

 午後から、被災者の遺骨が安置された東海市の玄猷寺(げんにゅうじ)で「第5回中国人強制連行殉難者追悼式典」(支援する会主催)が開かれ、宋殿挙さんも参加しました。

 旧大府飛行場の拡張工事は地崎組(現・岩田地崎建設、本社・札幌市)が請け負い、中国人480人が過酷な労働を強いられ、宋振海さんら死者5人、負傷者128人の犠牲者を出しました。

宋殿挙さんを現地に案内した南守夫さんは「この付近に強制連行者の天幕宿舎があった。この付近でお兄さんは被災したと思われる」と説明しています。

「支援する会」が発行した『愛知・大府飛行場における中国人強制連行・強制労働』所収の<「大府飛行場」強制連行の現場からの報告 西秀成>は、この宿舎跡について次のように解説している。

「480人の谷間のような不衛生なところに16張の天幕で生活していたという。元城跡で高見の宝珠寺からその方を見ていると、御庫裏さんがみえて戦時中・戦後の経験を伺った。台湾・新竹での空襲、疎開、内地帰還のことなど。土地の人から飛行場のトロッコに乗って遊んだ話。1959(昭和34)年まで滑走路近くの木造2階建ての建物に進駐軍(通信隊)がいたことなど。」

宋殿挙さんは、信心深い仏教の信者です。札幌の西本願寺でも中国式でお祈りをされていました。この記事だけではわかりませんが、宋殿挙さんは大府飛行場跡のミカン畑の中で、けがの痛みに苦しみ帰国の夢を断たれたお兄さんを、地面にひざまずいて追悼されたのではないでしょうか。