「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(5)

 

若林勝『ズリ山』の引用の続きです。

 

朝鮮人のときは、まがりなりでも、“炭坑夫募集”といったぐあいに、見せかけぐらいはしていたのだが、中国人の場合はちがう。暴力にものをいわせて連れてきたのだ。完全“人さらい・かっぱらい”なのだ。だから彼らは、つかまえられたその時から、くさりややき印こそないがものがいえぬ“奴隷”になってしまったのだ。

 

駅に出た二八四人は、鬼のような労務係の怒声に、山羊のように歩きだした。

 

オレは、このあわれな姿を見ていると、この人たちを坑内に入れ、労働させる危険を強く感じさせられた。

 

朝鮮から人を集めたとき、オレのところでは、これも表向きだけであったが、約ひと月、見習いとして、炭鉱、事故、保安などの知識を教えながら仕事をさせることにした。会社では、事故を防ぐことと、少しは生命のことも考えたのだろう。

 

二八四人の中には、一人も炭鉱や鉱山で働いたものはいない。それなのに、会社ではなんの指導もなしに今夜からでも石炭を掘らせるつもりでいるのだ。労務係の者たちは、二八四人の“奴隷”をいかにムチを当て、どう働かせるかで頭のなかはいっぱいでいるのだ。

 

オレは、一群を率いる労務の者たちが、やけに目につき、はらだたしくてならなかった。

 

二八四人の歩みは、日本をうらむにぶい足音を、オレの町や炭鉱を憎む重い足音を、また、生きる助けを求めるせつない足音をオレの町中に響かせていた。

 

――――この二八四人の中から、どれほどのいのちが、オレの炭鉱から消えていくのだろうか……。

 

そして、

 

 オレは、こんな状態の中で、どうしても大きくなっていかなければいけない……。

 

 オレはこんなことを考えるとき、

 

 ―――― オレは、ズリ山でありたくない!

と、ズリ山という名に生まれた自分を悲しみ、くやんでいた。