「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(4)

Ⅲ 炭鉱の物語『ズリ山』に描かれた中国人強制連行

赤平で小学校教師をしていた若林勝氏は、教え子の父母から聞いた話をもとに『ズリ山』を書いたと「あとがき」に書いています。「ただ残念なことに、それをうらづけるはっきりした資料がなく、そのため『あかま炭鉱(現在も石炭を掘っている)の物語』とはいえません。ですからここでは、炭鉱の物語・ずり山の歴史というように呼んでいただければと思っています」。ズリ山は、ボタ山のこと。

 

十一月のシバレる日だった。

おひるを過ぎたとき、下りの臨時列車が駅のホームに止った。

オレはてっきり、また、朝鮮の人たちがだまされてきたと思っていた。

今までの臨時列車がみんなそうであるからだ。

停車した列車からは、ぞろぞろ、まったく気力を失った人たちが下りてくるのである。今までと雰囲気が全然ちがうのだ。よく駅を見ると、会社の労務係の者ばかりでなく、サーベルを下げた町の駐在所の巡査、それに縄ムチを手にしている男までいる。

 オレは、このようすから「チャンコロ」であることがわかった。以前に労務の人たちがうわさしているのを聞いていたからだ。