水銀鉱山の強制労働(2)

イトムカ・置戸で注目したいのは、オホーツク民衆史講座の人たちによる中国人強制連行の発掘です。『オホーツク民衆史講座100講記念』にまとめられていますが、この歴史発掘は、多数の町民をまきこんだ置戸町の中国人・朝鮮人殉難慰霊碑建立に発展していったようです。『置戸町史』が中国人強制連行を詳しく叙述しているのも、そうした背景があってのことでしょう。

『置戸町史』には、置戸鉱業所見取り図が掲載されています。この図がどのようにしてつくられたかは記述されていません。関係者の証言をもとにつくられたのだとすれば、その証言記録もつくられたことでしょう。

イトムカでは、同地出身者による回想録『思い出のイトムカ』には、中国人強制連行に言及した回想が含まれています。イトムカ鉱業所の所長だった娘さんが発起人となって編集されたとのことで、町が繁栄していたころの思い出ばかりでなく、「影」の部分も描かれなくてはという気持ちをお持ちだったようです。「留辺蘂町史」には中国人強制連行に関する記述はごくわずかなだけに、たいへん貴重です。

地崎組の中国人強制連行・強制労働は、中国人が帰国した後、たびたび問題になりました。

まず第1は、GHQによって戦犯に問われるのではないかと、企業も日本政府もたいへん恐れた時期です。GHQ/SCAP文書の中には、GHQが地崎組から押収した労工の名簿や作業日誌などの諸資料が多数入っています。GHQ花岡事件とともに地崎組も、起訴することを考えていたのではないかという仮説も成り立ちそうです。第2は遺骨返還運動がとりくまれた時期です。第3はオホーツク民衆史講座による掘り起こしです。そして第4が、中国人強制連行・強制労働北海道訴訟で、中国人被害者からの聞き取りや現地調査、法廷での論争などを通して多くのことが解明されました。

これら4つの時期に明らかにされた内容を総括・継承することは、未解決の問題として残された補償問題の解決をすすめるうえでの礎となるのではないでしょうか。