地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(5)

もう一人、地崎伊屯武華事業所に連行された武万華という河北省無報県(石家荘市の1県)の農村の出身者の証言をとりあげましょう。(出典は、『日軍槍刺下的中国労工 石家荘集中営』)

武万華は、河北省無報県(石家荘市の1県)の農村です。父親は漢方医でしたので、幼いころから薬を扱う知識がありました。藁正新県(石家荘市の1県で、19402月,藁正新楽県が合併)四区の青救会に入り、革命運動に身を投じました。

医師の身分で活動し、1943年秋、町へ診察に行ったところ、突然戒厳令が敷かれ、町全体が封鎖され、市場や路上で多くの若者たちが捕えられました。町から出ることはできず、その晩は薬屋で泊まりました。夜半に日本兵が戸籍検査と称して家宅捜索が行われ、捕まりました。

武万華は、次のように語っています。(訳は愛知県在住の知人)

 

船は長崎・下関に到着し、検疫所で服を脱がされ、消毒をさせられた。その後、列車に乗り、神戸・大阪・青森を経て北海道に到着した。列車が山麓に着くと小さな列車に乗り換えて原始林へ入って行き、どれだけ走ったかわからないが、山の中腹に多くの木造の簡易な建物が見えた。周囲は塀や櫓に囲まれ、警察が見張っており、自由に出入りできない――それが事業場であった。

労工の宿舎では隣り合って床の上に寝泊まりした。日本人が通訳を連れてやって来て、「大東亜共栄」だの、「しっかり仕事しろ、逃げることはできない」だの、「逃げても日本から逃げ出すことはできない」だの、「ろくな結末はない」だの、そんな話ばかりであった。