地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(2)

イトムカでの食事については、 張兆林さんは次のように話しています。

 

食べものは1日に1斤をこえることはなく、主食はアワ、エンドウ、トウモロコシを混ぜた麺で、ドングリの粉が使われることもあった。

食べるときは班の30人がいっしょで、順番に食べた。炊事員と隊本部の正副隊長、衛生員、通信員が食べ終わってから、やっとわれわれの番になったが、いくらも残っておらず、各自2個のジャガイモと魚の干物が1尾だった。日本人はわれわれが腹いっぱい食べられないことには構わず、不公平にも相手にしなかった。数カ月、脂っ気のあるものや野菜を食べたことはなく、食べる量も少なく腹いっぱいにならなかった。清河県の王寿祥という者は、腹が減って他の者が地面に落としたものを拾って口に入れた。

 

中国隊のなかでも隊の指導的地位にいる者とそうでない者との差があったということですね。

 

北海道に着いてわれわれは5、6日休息をとり、以後、われわれは毎日、2、3尺積もった雪の中を歩いて工事現場に行った。仕事は木の伐採と枝払いだった。(旧暦)4月ころになるとだんだん暖かくなり、日本人は労働時間を延ばし、労働を強化した。毎日朝4時半起床、5時半に労働に行く者の点呼があり、11時半に宿舎に帰って食事した。午後1時、ひきつづき仕事に出て、午後7時になってようやく仕事が終わった。1日平均12時間の労働だ。一年中働かされ、休みはなかった。