イトムカ探訪(11)

野村鉱業社史には、イトムカで被連行中国人を働かせたことはまったく記述されていませんが、中国人を使った証拠のひとつが、「56号ダム」と呼ばれる水銀沈殿池です。この沈殿池は、地崎組が工事を請け負い(19444月から11月)、中国人488人(うち292人は途中、置戸へ異動)を使いました。

この56号ダムについて、イトムカ鉱山所長だった山本伊勢雄氏が次のように語っています。「鉱山屋の一生」という本に書いているそうですが、国会図書館にもないので、『思い出のイトムカ』から転載します。

 

五十六号ダムは(昭和)十八、十九年私が選鉱場の建設総監督として多くの中国人を使役して築造したもので(責任者望月係長)汚泥流出の原因と思われる斜樋は一号・二号・三号の三つがあって、その第一斜樋のフタが破損してそこから大量の汚泥が流失したもので、この斜樋のフタは戦時中の事で木製であり一部粗悪品があり破損したものと考えられ、言わば不可抗力と言っても差し支えないと思った。