イトムカ探訪(5)

野村興産HPは、つぎのように自己紹介しています。

北海道大雪山系にある総面積1,489,431m2のイトムカ鉱業所は、かつて東洋一の水銀鉱山と呼ばれ、世界的にも珍しい自然水銀が産出する鉱山(他の水銀鉱山では硫化物である辰砂が多い)で、最盛期年間200トンの水銀を生産していました。イトムカとは、アイヌ語"光り輝く水"という意味だと言われています。真冬は零下20℃を下回る過酷な気象条件ですが、鉱山の操業が盛んだった頃には、人口5,000人を超え、住宅施設、小・中学校、映画館を備える「鉱山城下町」が形成されました。その後、水銀需要が減少し鉱山は閉山しましたが、鉱山業で培われた水銀製錬技術等のノウハウをベースとして、1973年には含水銀廃棄物の処理を行う環境事業へと転換し、新たなスタートを切りました。特に、乾電池への水銀使用が問題化した1983年には、使用済み乾電池を処理できる国内唯一の企業として指定され脚光を浴びることとなりました。今日では、ロータリーキルン、多段式焙焼炉、高温焼却炉、乾留ガス化焼却炉など、各種プラントを複合した工場となっており、乾電池、蛍光灯リサイクルを中心に、様々な廃棄物処理に対応しています。

ここには水俣病発生の原因となった水銀はイトムカで産出されたものであったこと、戦前、中国人・朝鮮人に強制労働をさせたことも書かれていません。

なぜ乾電池の水銀が問題になったのでしょうか。水俣病があったことは疑問の余地はないでしょう。

東洋一の水銀生産を誇ったのはいつですか? 戦争遂行のため増産につぐ増産が求められた、“繁栄”の時代だったのではありませんか。国策のために日本人労働者の健康破壊は深刻でしたが、それにとどまらず、中国人・朝鮮人の強制連行・強制労働にも触れなければ、過去の栄光は語れないのではないでしょうか。そうしたことの上に築かれた繁栄であったことを明記しなければ、地球の現在と未来を考えて環境問題に取り組んでいますといっても、どこか信じられないものが残るように感じます。