オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(6)

(ホ)イトム力の下請労働者

地崎組で. 土木関係を中心に行なった。労働者は日本人タコと朝鮮人タコがいた。土屋組は、主に採鉱に当っていたが、日本人タコが中心のようであった。

朝鮮人の下請としては高橋組(高橋由蔵)があり、操業当時から終戦まで色々な仕事(搬送・薪炭・採鉱・土木等)に当った。この組は親方以下全員朝鮮人であった。

原谷組は、馬夫の下請で. 馬夫は地元の人ばかりで物資の搬送が主であった。

(ヘ)岡田勇蔵氏(元イトムカ労組委員長・町議、吉田守取材)

挺身隊には、近隣町村から来た。北見は○ハ(1字)の社長さんが団長、遠軽からは当麻英治町議が。仕事は「とい流し」を軍歌を歌いながらやっていた。

朝鮮人は寮に入って四時から夜の明かるい頃まで働かせた。十五~六人に一人の幹部がつき、冬はあたたかい服を与えると働かないからといって余り与えず、凍死するものもあったようだ。

露天掘りは、中毒にかかり易かった。

あの当時は今では考えられないようなことがあった。今でも良心がとがめている。複雑な気持で思い出す。

(ト)近藤利治氏(元朝鮮人寮長、吉田守取材)

  略

(チ) イトムカのことは一切しゃべらないことにしよう。年賀状のやりとりはいもずる式になるから止める。この誓いをして解散した。

水銀の蒸気がでてくるところにはだれも入りたがらないので、賃金をやるからといって中国人・朝鮮人を使った。ヨロケになるが、一力月位休業させて又使った。(元労務課、森田さん、小池取材)